
やろうと思っていたのに、できなかった。
言おうと思っていたのに、言えなかった。
本当は休みたかったのに、また無理をしてしまった。
思っていた通りにできなかったとき、
「私って本当にだめだな」と
感じてしまうことはないでしょうか。
一度その言葉が浮かぶと、
「どうして私は…」「いつも私は…」と、
自分へのジャッジが止まらなくなることがあります。
過去の私も、同じように自分を責めていました。
心を見つめようとしているのに、
気づくといつも「責める」
という場所に戻ってしまう。
今振り返ると、
事実を見るという視点が
育っていなかったのだと思います。
見ているつもりで、思考を見ている
ここでいう「見る」とは、
目で確認することではなく、
起きていることにそのまま気づくことです。
何かが起こると、思考はすぐに動き出します。
「こうなのではないか」
「ああなのではないか」
過去の経験をもとに、
意味づけや解釈を重ねていく。
けれど、その思考がどれだけ続いても、
実際に起きていることと
ズレている場合があります。
そのズレに気づくこと。
それが、「見る」ということです。
自分を責めてしまう思考の速さ
自分を責めてしまう流れを長く使っていると、
この一連の動きはとても速くなります。
どうしてすぐ動けないんだろう。
またできなかった。
やっぱり自分はだめだ。
ほんの一瞬で、
「できなかった出来事」から
「だめな自分」という結論まで進んでしまう。
そしてその繰り返しによって、
そのイメージが当たり前のものになっていきます。
気づきがつくる小さな間
でも、ここに気づきが入ると、
流れが少し変わります。
気づきは、思考と思考のあいだに
小さな間をつくります。
たとえば、
「どうしてすぐ動けないんだろう」
と浮かんだあとに、
「またできなかった」
という思考が続いてくる。
そのときに、
「あ、いつもの流れだな」
と気づけると、
それだけで少し距離が生まれます。
「こうやって自分を責めてきたんだな」
と見えたとき、
そのまま「やっぱりだめだ」に進む流れに
気づけるようになります。
すると、
同じ流れに飲み込まれにくくなります。
考え方ではなく、前提に気づく
「なんで自分はこんなに責めるんだろう」
と悩むとき、
多くの場合、
考え方を変えようとしているかもしれません。
けれど、どれだけ考え方を変えても、
「私はだめだ」という前提がそのままだと、
同じパターンは繰り返されます。
気づきは、考え方ではなく、
起きていることを見る力です。
とても地味ですが、
ここが変わると流れそのものが変わります。
事実と判断は、別のもの
やろうと思ったのに、できなかった。
それが、今起きている事実です。
そこに
「それはだめなことだ」という判断が加わると、
一気に重さが生まれます。
その重さが、「自分はだめだ」
という全体の評価へと広がっていく。
責めるのではなく、見る。
判断するのではなく、気づく。
ここに戻ることができると、
自分を責めてしまう力は少し弱まります。
そして不思議ですが、
責める力が弱まると、
人は少し動きやすくなります。
責めることで変われるように
感じることもありますが、
責められている心は、
実際には動きにくくなります。
だから必要なのは、
自分を変えようと強く押すことではなく、
そのとき何が起きているのかを見ることです。
立ち止まることで流れは変わる
すぐに動けなかったとき。
言葉が止まったとき。
また同じところで止まっていると
気づいたとき。
そのたびに、
すぐに自分を悪者にしないで、
一度立ち止まってみる。
動けなかったこと。
言葉が止まったこと。
その事実に、そのまま気づいてみる。
その小さな間が、
いつも自分責めで終わっていた流れを、
少しずつ変えていきます。
自分を責めない人になる、というより、
責める前に立ち止まれる人になる。
そこから、心の動きは変わり始めます。
