
何かが起きたとき、
私たちの心は、思っている以上に早く
この状況がどういうことなのかを
決めつけます。
あの人が悪い。
私は否定された。
もう無理だ。
その速さは、本当に一瞬です。
実際に何が起きているかを見つめる間もなく、
ほとんど同時に
その出来事に対する自分の考えが
立ち上がっています。
そして、その考えに続いて、
身体が反応し、感情が動きます。
胸がざわつく。
怖くなる。
悲しくなる。
怒りがこみ上げる。
感情的になるときは、
感情の大きな波に飲み込まれてしまい、
その手前で何が起きていたのかには
気づきにくいものです。
けれど実際には、その少し前に、
何かを強く決めつけている思考が
あるのだと思います。
決めつけの奥で動いているもの
たとえば、
知人に送ったメールやメッセージの
返信がなかなか来ないとき。
それだけで、心がざわつくことがあります。
すると、
「私は大事にされていないのかな」
「言い方がよくなかったのかな」
そんな思考が浮かぶことがあります。
そして、その思考に対して、
悲しみや焦り、不安が強く動きはじめます。
けれど、本当のところはまだ分かりません。
単に忙しいだけかもしれないし、
通知に気づいていないだけかもしれない。
それでも、心はすぐに決めつけます。
「きっとこういうことなんだ」と。
そうして決めつけた瞬間に、
別の可能性は見えにくくなってしまいます。
しかも、ここで起きていることは、
単なる「返信がない」という
事実だけではありません。
相手の反応に触れた瞬間、
ずっと前につくられた痛みが、
同時に動き出していることがあります。
・何かあると自分が悪いと思ってきたこと。
・ちゃんとしていなければ
受け入れてもらえないと感じてきたこと。
・見捨てられることや、
否定されることに敏感になっていったこと。
そうした古い感覚が、今の出来事に重なると、
ただ返信が遅れているだけなのに、
まるで自分そのものが否定されたかのような
重みを帯びてしまうのです。
決めつけは、心を守るために起きている
今の状況を「こういうことなんだ」と
決めつけてしまうのは、
痛みから身を守るための
心の働きなのかもしれません。
「自分が悪いんだ」と思ってしまえば、
それ以上傷つかなくてすむように
感じることがあります。
あるいは、「相手が悪いんだ」と思えば、
相手を責めているあいだは、
「自分が悪い」という痛みに
触れなくてすむこともあります。
同じ状況でも、
悲しみになることもあれば、
怒りになることもある。
表れ方は違っても、
その奥には、
「自分が悪いという痛みから逃れたい」
「そこから自分を守りたい」
という動きがあるのかもしれません。
そう思うと、決めつけは、
ただ視野を狭くしているだけではないのでしょう。
それは、心が苦しさに飲み込まれないように、
とっさに作り出している防衛でもあるのだと思います。
決めつけるほど、世界は閉じていく
けれど、決めつけが強くなるほど、
世界は閉じていきます。
別の見方があるとは思えなくなる。
相手の事情も見えなくなる。
自分の中で何が起きているのかも見えにくくなる。
しかも、決めつけは
反応とほとんどセットで起こります。
誰かに何かを言われたとき、
嫌な気持ちになる。
腹が立つ。
悲しくなる。
そういう反応が、
いつものパターンとしてすぐに起こる。
出来事が起きた瞬間、
もう感情が動いている。
その速度があまりに速いので、
立ち止まる時間も、心の余裕もなく、
ただそれが現実そのもののように
見えてしまうのです。
すると、人は閉じた世界の中で
生きているように感じます。
見えるものがいつも同じで、
反応もいつも同じで、
そこから抜け出せないように感じる。
だから苦しいのだと思います。
でも、出来事をそのまま受けとめるための
小さな空間が心の中に生まれると、
決めつけで固まっていた見方が、
少しずつゆるみはじめます。
自分の心の状態と身体の反応。
相手の事情や、その人の心の状態。
相手の反応によって、
なぜ自分の心はこんなに揺さぶられるのか。
自分は何を怖がっているのか。
そんなふうに、
起きていることを少しずつ、
そのまま見られるようになっていきます。
決めつけないでいると、ゆらぎが生まれる
では、どうしたら
決めつけるパターンをやわらげていけるのでしょうか。
それは、急いで答えを決めるのではなく、
決めつける前の、
まだ定まっていないところに少し戻ってみること。
「白黒をつけたい」
「はっきりさせたい」
その思いをほんの少しゆるめてみると、
本当はまだ言葉になっていないもの、
見えていないものが
残っていることに気づくかもしれません。
その、まだ決めきらない状態。
すぐには答えを出さずにいる状態。
そこに、ゆらぎがあります。
決めつけに慣れてきた心にとって、
このどっちつかずの感覚は、
とても居心地が悪いかもしれません。
けれど、そのゆらぎは、
何も決定づけることをせず、
可能性を残しています。
だからこそ、
閉じた世界をひらいていく鍵は、
まさにこのゆらぎの中にあるのだと思います。
決めつけから少し自由になる
すぐに自分を責めない。
すぐに相手を悪者にしない。
すぐに、この出来事の意味を確定させない。
ほんの少しでいい。
分からないまま、その場にいてみる。
そんなふうに、
決めつけから少し距離をとれると、
本当のところはまだ分からない。
自分の見ているものが、
すべてではないかもしれない。
そんな気づきが生まれることがあります。
すると、閉じていた世界に
少しだけ隙間が生まれます。
出来事そのものは変わらなくても、
その解釈に閉じ込められていた自分自身が、
少しずつほどけていく。
それは、
囚われていた世界から
自分自身を自由にしていくことでもあるのだと
思います。
決めつけで固まっていた思考がやわらぎ、
より自然なところへ戻っていく入口は、
いつも私たちの中にあるのかもしれません。

気づきの対話のセッションでは、
出来事の表面だけではなく、
その奥で起きている
心の動きに静かに触れていきます。
言葉にしながら見ていくことで、
閉じていた世界に少しずつ余白が生まれ、
これまでとは違う見え方が
ひらいてくることがあります。
セッションについては
こちらをご覧ください。
