
何かを選ぶとき──
何かを選ぶとき、
「これで合ってるのかな」
「もっといい方法があるんじゃないか」
「間違えたくない」
そんなふうに
考え込んでしまうことがあります。
正解探しを手放すことは、
簡単なようでいて難しいものです。
なぜなら私たちは、
ただ迷っているのではなく、
間違えることへの怖さや、
人にどう見られるかという緊張も抱えているからです。
私自身もかつて、
失敗しないように、
人に迷惑をかけないようにと、
いつも正しそうな答えを探していた時期がありました。
けれど、正解探しを手放すことができると、
少しずつ「わたしはどうしたいのか」
という感覚に戻りやすくなります。
なぜ、正解を探してしまうのか
正解探しの奥には、
慎重さだけではない感覚が
隠れていることがあります。
間違えたくない。
傷つきたくない。
否定されたくない。
過去に、間違えたことで怒られたり、
恥ずかしい思いをしたことがあると、
間違うことそのものが危険のように
感じられることがあります。
すると無意識の中で、
間違わなければ安全
正しく選べば大丈夫
という感覚が強くなっていきます。
正解探しを手放すのが難しいのは、
頭の問題だけではなく、
身体に残った緊張とも
関係しているのだと思います。
正解探しをしていると、他人の目が基準になりやすい
正解を探しているとき、
基準は外に向きやすくなります。
ちゃんとして見られたい
迷惑をかけたくない
誰かにOKをもらえたら安心
そうしているうちに、
自分にとって自然かどうかよりも、
間違っていないかどうかのほうが大きくなります。
もちろん、人との関わりの中で配慮は大切です。
けれど、他人の目だけを基準にしていると、
自分の感覚は少しずつ遠のいていきます。
正解探しを手放すとき、曖昧な時間が必要になる
白黒つかない時間や、
どうしていいかわからない時間は
落ち着かないものです。
早く決めたい。
とにかく正しそうなものを選びたい。
そんな焦りが出ることもあります。
けれど、正解探しを手放すときには、
この曖昧な時間が案外大切です。
すぐに答えを出そうとせず、
まだわからないままの状態で過ごしてみる。
そのあいだに、頭の緊張がゆるみ、
内側の感覚が見えやすくなることがあります。
わからない時間は、
何も進んでいない時間ではありません。
本当の選択が育っていく時間でもあります。
正解探しを手放すと、わたしの選択が見えやすくなる
正解を探しているとき、
答えは外にあるように感じます。
けれど、自分の感覚に少し戻ってくると、
選択の見え方が変わります。
頭ではこちらが正しいと思っていても、
どこか力が入る。
逆に、はっきり説明できなくても、
こちらのほうが自然に感じる。
そんな小さな違いが、
方向を教えてくれることがあります。
正解探しを手放すとは、
無責任になることではありません。
正しさだけで決めるのではなく、
自分の感覚を置き去りにしないことです。
正解探しを手放すことは、自分に戻ることでもある
正解を決めようとするほど、
間違えたくないという思いが強くなり、
苦しくなることがあります。
そんなとき、必要なのは、
考えることではなく、気づくこと。
少し立ち止まり、
いま何に緊張しているのか、
何を怖れているのか、
身体がどう反応しているのかに
気づいてみる。
そこから、
外に向いていた意識が
少しずつ内側に戻ってきます。
正解探しを手放せると、
「間違わないこと」ではなく、
「わたしにとって自然なこと」から
選びやすくなります。
その感覚は、
すぐに大きくはっきりしなくても、
少しずつ
自分の選択として育っていきます。
