
頼るという選択が遠ざかる
育った環境のなかで、
安心して本音を出せる場が少なかった。
そんな体験をしてきた人は、
実は少なくないのかもしれません。
頼りたい気持ちや、甘えたい気持ちがあっても、
それをそのまま出していい、
という感覚が育たなかった。
代わりに身についたのは、
「ちゃんとしている私」でいること。
「期待に応えられる私」でいること。
そうして関係を保ち、
居場所をつくってきた結果、
いつの間にか
「頼る」という選択肢そのものが
意識の外に置かれていきます。
わたし自身も、そうでした。
人に頼るかどうかを考える前に、
「自分でやるしかない」という前提が、
当たり前のように働いていました。
受け取ることへの違和感
社会人になった後、ある時期、
両親に経済的に支えてもらっていたことがあります。
ありがたいはずなのに、
どこか落ち着かない。
その違和感をよく見てみると、
そこには
「受け取る立場でいる自分は不十分なのではないか」
という前提がありました。
返していない自分。
役に立っていない自分。
そんな評価が、
無意識のうちに自分に向けられていたのだと思います。
けれど、あるとき、
ふとこんな言葉が浮かびました。
「私は今、受け取るという体験をしている」
その瞬間、
何かを証明しなくてもいい場所に、
一歩戻ったような感覚がありました。
与える側でいなければ、という思い込み
誰かの役に立とうとするとき、
知らず知らずのうちに、
条件が生まれることがあります。
ちゃんとしなければ。
期待に応えなければ。
でも立場が変わり、
支えられる側に立ってみたとき、
ひとつ気づいたことがありました。
周りの人は、
「役に立つ私」を
それほど求めてはいなかった。
求められていたのは、
うまく振る舞うことよりも、
ただそこにいることだったのかもしれません。
「ありがたいな」と感じる。
それをそのまま受け取る。
それだけで、
関係の中の緊張が、
自然とほどけていきました。
受け取るという前提に戻る
受け取ることは、
甘えることでも、
怠けることでもありません。
ただ、
ひとりで抱えなくてもいい、
という前提に戻ること。
これまで周りを優先してきた人ほど、
その前提を思い出すまでに、
少し時間がかかるのかもしれません。
けれど、
差し出された手に気づき、
それを取ってみると、
世界の見え方は、
少しずつ変わっていきます。
それは、
大きな変化ではないかもしれません。
ただ、
力が入りっぱなしだった肩が、
ふと緩んでいることに気づいたり。
お願いする言葉が、
すっと口から出てきたり。
受け取るという体験が、
少しずつ、人生の前提を書き換えていく。
今は、そんなふうに感じています。
