
「しっかり者」という鎧を脱いで、呼吸を深く
「お姉ちゃんなんだから」
「あなたなら任せても安心ね」
そんな言葉を背負って、
あなたはいつから「しっかり者」という
重い鎧を着て過ごしてきたのでしょうか。
40代、50代、60代。
人生のステージが変わっても、
家族の中で、職場で、
「自分がやらなきゃ」
「迷惑をかけてはいけない」
そう思いながら、
一歩前で踏ん張り続けてこられたのでは
ないでしょうか。
その強さと責任感があったからこそ、
守られてきたものがたくさんあります。
けれど、ふとした瞬間に、
その鎧がひどく重く、
息苦しく感じることはありませんか。
「甘え方がわからない」という孤独
「しっかり者」でいようとするほど、
周りからは「一人で大丈夫な人」に
見られてしまいます。
本当は心細かったり、
誰かに背中をさすってほしい夜が
あったとしても、
弱音の吐き方が分からない。
「こんなことで弱音を吐いてはいけない」
「私が崩れたら、みんなが困る」
そうやって自分に言い聞かせるたびに、
鎧のつなぎ目はさらに固くなり、
いつの間にか
脱ぎ方すら分からなくなってしまう。
思考が止まらないのは、
「強くいなければならない」という考えに、
自分自身を縛り続けているからかも
しれません。
鎧は、あなたを守ってくれたもの
この「しっかり者」という在り方は、
決して間違いではありません。
幼い頃のあなたが、
家族を笑顔にするために、
あるいは自分の居場所を守るために、
必死で身につけた生き方だったはずです。
言い換えれば、それは
あなたなりの「愛の形」でもありました。
私自身も「しっかり者」を演じて生きてきました
実は、私自身も長いあいだ
「しっかり者」というラベルを貼って
生きてきました。
自分では特別そう思っていなかったのに、
周りから「しっかりしているね」と
言われるたびに、
「そうなんだ」と受け入れてきたのです。
それがいつの間にか、
疑うことのない自己イメージになっていました。
自己イメージになると、
そこから外れる自分を許せなくなります。
しっかりしていない自分にダメ出しをしたり、
力を抜いて生きている人を見ると、
どこか腹立たしく感じたりすることもありました。
今振り返ると、
自分で作ったルールに自分を閉じ込め、
そこからはみ出すと「アウト」と
判定していたような状態です。
当然、心は疲れていきます。
けれど少しずつ、
そのルールを外していくことを
自分に許しました。
「しっかりしていない私」が現れても、
それを否定しない。
鎧を一枚ずつ外していくような感覚でした。
それは、
何か別の自分になることではなく、
本来の自分に戻っていく
プロセスでもあったのだと思います。
今でも、しっかり者に見える
瞬間はあるかもしれません。
でも、そうでない私も確かに存在しています。
どちらか一方が正しいわけではなく、
そのとき必要な私が現れているだけ。
そこに問題はありません。
そう思えるようになってから、
生き方はずいぶん楽になりました。
「書くこと」で、鎧を置く場所をつくる
対面で誰かに会うと、
無意識に「しっかりした私」の顔を作ってしまう。
けれど、メールという静かな場所なら、
誰の表情も気にせず、
鎧を脱いだままの言葉を置くことができます。
「本当は、もう疲れた」
「ずっと、こう言いたかった」
そんな本音を外に出すことは、
自分を否定することではありません。
むしろ、
自分を一番に大切にする行為です。
思考をほどいて、
心の風通しを取り戻す。
それは、
これから先をもっと軽やかに生きるための
静かな準備でもあります。
鎧を脱いでも、大丈夫
いつも誰かの支えになろうと
頑張ってきたあなたへ。
14日間だけ、
誰の期待にも応えなくていい時間を
持ってみませんか。
メールセッションでは、
まとまらない言葉も、
吐き出したい弱音も、
そのまま受け取ります。
重くなった鎧を、
一つずつ丁寧に外していくような
時間です。
必要だと感じたときに、
いつでもご連絡ください。
詳しくはこちら
ちゃんとしてきた人へ 揺らぎの中でいるという選択
