
言葉にできないモヤモヤと音
「なんだか、心がもやもやする」
「具体的に何が嫌なわけではないけれど、
胸のあたりが重たい」
身体に意識を向けると、
悲しいような、不安なような、
はっきりしない感覚がある。
けれど、
なぜそう感じているのかは分からないまま、
今日という日が過ぎていきます。
これまでがんばって生きてきた人ほど、
“しっかりしている私”が根付いています。
だからこそ、
「分からない」という状態に、
どこか落ち着かなさを
感じてしまうことがあります。
心がモヤモヤするのは、感覚の重なり
まわりの空気や人の気配をよく感じ取る人は、
自分の感情よりも、
周囲を優先してきた時間が長いかもしれません。
誰かの視線。
場の張りつめた雰囲気。
ニュースを見たときの、説明できない引っかかり。
そうした小さな刺激は、
その場で処理しきれないまま、
心の中に静かに残ります。
押し込めている自覚がないまま、
感覚だけが身体の奥に積もっていく。
そしてあるとき、
理由の分からない重たさとして表に出てきます。
それは「考え」というより、
もっと身体に近いところで起きている感覚です。
だから、頭の中で整理しようとしても、
重たさはなかなかほどけません。
音叉は、心がモヤモヤする原因を探さない
音叉の響きは、
言葉になる前の感覚に静かに触れていきます。
音を鳴らすと、
透明な振動が空間と身体に広がります。
そのとき起きているのは、
何かを理解することではなく、
ただ、感覚がそのまま在るということ。
響きの中にいると、
今ここにいる自分にも自然と触れていきます。
肩や背中の力みが、
少しゆるむことがあります。
胸までしか入っていなかった息が、
お腹のあたりまで届くこともあります。
理由を見つけたから安心するのではなく、
身体ごと、静かに落ち着いていく感覚。
音は、滞っていたものを
無理に動かすのではなく、
もともとの流れに戻っていくのを
そっと見守るような存在です。
心がモヤモヤするときの「そのまま」の時間
今の社会では、
考えをまとめ、言葉にし、
早く解決することが求められます。
けれど、心の中には、
あえて言葉にしないまま
置いておいたほうがいい領域もあります。
重たいままの自分も、ここにいる。
整っていない状態も、そのまま在る。
「ただ、重たい感じがある」
それだけを、そのまま感じている時間が、
結果として心をゆるめていくことがあります。
音叉の響きの中では、
その感覚を良いとも悪いとも決めません。
変えようとも、消そうともしません。
ただ、今ここに在るものとして、
音と一緒に置いておきます。
すると、
動かなかった感覚が少し形を変えたり、
余白のように広がったりする瞬間が
訪れることもあります。

ただそのままにしておくと
動きは、自然に起きていくー
Natural Flowのセッションは、
言葉にならない部分を、無理に扱わない時間です。
理由は分からないけれど心が晴れないとき。
話すこと自体が負担に感じるとき。
そんなときに、
ただ音の中で感覚を漂わせる場として、
この時間があります。
徳島・オンラインでお受けしています。
音叉について詳しく知りたい方はこちら
