「ゆるす」とは、人ではなく“出来事そのもの”を愛で包むこと

本質的なゆるしとは?

「ゆるす」と聞くと、自分が不快な感情を持っている人に対して
行うものというイメージを持つ方が多いかもしれません。

でもわたしが感じている「ゆるす」は、
“人”ではなく、出来事そのものをまるごとゆるすこと。

出来事にまつわる感情も、背景も、関わった人もすべて含めて、ただ受け入れるということ。

「人をゆるす」という発想には、「私」と「あなた」という分離があります。
「私はあなたをゆるします」というとき、そこにはどこか上下や距離があるもの。

でも、本当の私たちの本質は、ただひとつの存在、大いなる存在そのもの
分離は幻想であり、本来すべてはつながっています。

だから、本質的な「ゆるし」は、誰かではなく、
その出来事全体を、愛の視点から受容することなのです。

「いま」ゆるすと、過去も未来も変わる

過去の出来事をいまこの瞬間ゆるすことができると、
その出来事につながっている過去から未来にまで、ゆるしのエネルギーが届きます。

なぜそんなことが起きるのかというと、
わたしたちは「いま」にしか存在していないからです。

この「いま」という瞬間の中に、過去も未来も同時に存在しています。

だから、今ここで深いゆるしが起きると、
過去の出来事はただ映像として残るだけです。
そこにある感情は、穏やかで静かなもの。
ニュートラルとかフラットと表現できるような感覚になります。

そしてゆるしが起きた先には、過去の延長ではなく
まったく新しい未来=愛とつながった未来が開かれるのです。

繰り返すパターンと、ゆるしの視点の違い

わたしたちは皆、それぞれに「繰り返すパターン」を持っています。

何度も同じような出来事が起きるとき、
それはまだ心の中に反応する“感情”が残っているというサインです。

感情の波に飲み込まれているときは、まるでドラマの中で役を演じているような状態。

ですが、そのドラマの中で表現している陰と陽のエネルギーが統合されると、
同じ出来事が起きても、これまで使っていた周波数を使うことはなく、
ただ静かにそれを眺めていられるようになります。

なぜなら、あなたはそれがリアルなものではなく
“ドラマ”だと分かっている視座にいるからです

個人のゆるしから、存在そのもののゆるしへ

人をゆるそうとする時、私たちの視点は「個人」にあります。

でも、出来事そのものをゆるす時には、
個人を超えた、愛の視点に立つことが必要です。

この視点に立つと、私たちはドラマの外に出て、
魂の視点で物事を観るようになります。

魂は常に、私たちを“愛に戻そう”としています。
現実に起きる繰り返しの出来事は、そのサインです。

ひとつのパターンを終えるたびに、
私たちの中で“自我”が“愛”に統合され、
その愛のエネルギーが人生全体に広がっていきます。

さいごに

ゆるしとは、
「過去をなかったことにすること」でも「誰かを正当化すること」でもありません。

ただ、「起きた出来事そのものを、大きな愛で受け入れること」。

そうすることで、
あなたの中に、静かで、深い、真の自由が広がっていきます。

ゆるしの先には大きな愛の世界が開かれているのです。

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