
受け取る体験から学んだこと
育った環境のなかで、
安心して本音を出せる場が少なかった──
そんな方は
実は少なくないのかもしれません。
頼ったり
甘えたりしたい気持ちはあったのに
どこかで「それはわがままかもしれない」と
ブレーキをかけてしまう。
そうして
自分の感情をぐっと飲み込んだまま
「ちゃんとする」こと
「期待に応える」ことで
愛をつないできた人もいるでしょう。
本音を抑えて、誰かの役に立つことで
「これで愛される」と信じた。
それが当たり前になっていくうちに
“頼る”という選択肢は
遠ざかっていきます。
わたし自身も、そうでした。
人に頼るのが苦手で
「できる限り自分でなんとかしよう」と
肩に力が入っていました。
でも、ある時期
両親に経済的に支えてもらっていた
ことがありました。
ありがたさを感じながらも、どこかで
「こんなに頼っていていいんだろうか」と
自分を責めてしまう気持ちもあって──
そんなある日、ふと胸に浮かんだのです。
「わたしは今
愛を受け取ることを学んでいる」と。
そのとき初めて、深く納得しました。
これまで自分が与えてきた愛は
どこにも消えてなどいなかった。
今、こうして受け取っている愛の中にも
その流れはつながっている。
与えることも、受け取ることも、
どちらも同じように愛のかたち。
その間には、ただ自然な“循環”があるだけ。
わたしは今、その流れのなかにいる──
そう思えたのです。
愛を信じることは、信頼の種を育てること
これまで周りを優先してきた人は
“受け取る”ことに
なんとなくためらいを感じていたりします。
でも、受け取ることもまた
愛のカタチのひとつです。
信頼は、ひとりで完結するものではなく
誰かとのつながりの中で
少しずつ育っていきます。
そして、その土台に
愛があると気づけたとき、
誰かに「お願いしてもいいんだ」と
思えるようになったり、
小さなことでも「お願いしてみよう」と
人に頼れるようになります。
「お願いすること」は、
相手の中にある愛を信じることです。
そしてそれができるのは、
自分の中にも愛があることを、
ちゃんと信じているからです。
自分の中に少しずつ信頼が育つと──
自然体で、楽に人と関わることが
できるようになっていきます。
たとえば、
誰かに「これ、手伝ってもらえる?」と
ためらわずに声をかけられる自分。
ありがとうと素直に伝えられる自分。
自然と笑顔が多くなる自分。
そんなありのままのわたしが
日常の中に増えていくのです。
それは──
「もう、ひとりで抱えなくていい」
という人生のはじまりでもあるのです。
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