頑張ってしまう人のやさしい世界の創り方

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気づけば、またひとりで抱えていた

目の前に積まれた仕事を見て

「お願いしようかな」と頭では思うのに

身体が動いてしまってる。


頼むよりも、自分でやったほうが早い──

そう思って手を動かす。

「なんで私ばっかり…でも、やるしかない」

こんなふうに、自分でなんとかするのが

当たり前になっていませんか?

でもそれって
「頼るのが苦手だから」だけではなくて
もっと奥に、理由があるのかもしれません。

「ちゃんとした自分」でありたい

繊細で感受性の高い人ほど
無意識に「しっかり者」でいようとします。

ちゃんとしていれば、迷惑をかけずにすむ。

がっかりされない。責められない。

そう信じて、安心を守ろうとする。

誰かの期待に応えることで
「私はこれで大丈夫」と思える。

でも、その安心はすぐに去ってしまい

気づけばまた、何かを背負ってしまう。

その在り方は

いつの間にか“鎧”のようになって
あなたの本当のやさしさや本音を

奥へ奥へと押し込めていくのです。

その強さは、やさしさを守るための鎧だった

「強くなきゃ」
「ちゃんとしてなきゃ」

そう思い込むほど
本当は繊細で頼りたかった自分を
ずっと見ないようにしていた。

でも

“ちゃんとした自分”でいようとするほどに
人との間に、少しずつ距離が生まれてしまう。

それは本当のあなたを見せられない

寂しさかもしれません。

信頼がないと、世界は冷たく見える
「迷惑をかけちゃいけない」

「自分でできることは、自分でやるべき」

──その想いは、やさしさでもあるけれど、

裏を返せば、

「誰かを信じきれていない」という

防衛でもあります。

信頼のない世界は

どこか冷たくて張りつめていて──

だからまた、ひとりで頑張る。

傷つかないように。
つながらないように。

でも本当は
お願いしたいときもある。
助けてほしい瞬間もある。

それをずっと、飲み込んできただけ

なんじゃないでしょうか。

お願いすることは、相手に

全部を委ねることではありません。

それは

“受け取る力”を自分の中に見出すこと。

静かだけど、確かな信頼の選択です。

信頼は、小さな「お願い」の積み重ねから育つ


信頼は、いきなり芽生えるものではなく

「お願いしてみたら、応えてもらえた」

そんな小さなことかもしれないけれど
その一歩が、自分の中の“信頼”を

そっと育ててくれるのです。

たとえば──
体調がすぐれないまま出勤した日。

平気なふりをしながら

働いていたけど

勇気を出して

「この仕事だけ、お願いできる?」と
同僚に声をかけてみた。

すると「いいよ、任せて」と

軽やかな笑顔。

その瞬間、「伝えてよかった」って

胸の奥がふっとゆるむ。

こんなふうに

素直な想いを表現することが

信頼の土台を育てていきます。

たとえ

すべてを受け止めてもらえなくても
“本音を伝える自分”でいることを

恐れない姿勢が、

あなたの中にあるほんとうの強さを

育てていくのです。

鎧を脱ぎはじめたとき、世界がやさしく変わり始める


頼らないようにしてきた自分に
気づいたとき

堅くて重たい鎧を

ずっと身にまとっていたことにも
そっと気づくでしょう。

そしてその鎧を脱ぎ始めたとき──

あなたはもう、
やさしい世界とつながる準備ができています。

その世界は、がんばらなくても
あなたをあたたかく迎えてくれる場所です。

頼ってもいい私は
弱さに戻ることではありません。

本当のやさしさを思い出して
自分にも、世界にも
少しずつ心をひらいていける私に還ること。

その瞬間から、世界は少しずつ
あなたの味方になっていくのです。

あなたの中にあるやわらかな力が、
これからもっと自由に

あたたかく育っていきますように。

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